トロギルの歴史
大変興味があります。
トロギルの歴史のまじめな話。実は知らないことばっかりでした。
紀元前3世紀、ヴィス島からやってきたギリシャ人植民者により植民地トラグリオンがつくられ、大きな港として発展していったが、それは古代ローマ時代までであった。サロナ(スプリト近郊にあった植民都市)の急な繁栄によって、トロギルの重要性は低下した。スラヴ人の移住が始まると、破壊されたサロナの市民はトロギルへ避難した。9世紀から、トロギルはクロアチア王国へ臣従するようになった。トロギルの司教区は11世紀に創立され(1828年廃止)、1107年にはハンガリー及びクロアチア王カールマーン1世によって特権を与えられ、町として自治権を授けられた。
1123年、サラセン人によって町全域が征服されほぼ完全に破壊された。しかし、トロギルは短期間で被害から回復し、12世紀と13世紀には力強い経済繁栄を見せた。1242年、ハンガリー王ベーラ4世はタタール人の侵入から逃れトロギルへ避難した。13世紀と14世紀、トロギル市民によってもっとも多く領主に選ばれたのは、シュビッチ家の者であった。ムラデン3世(1348年)は、トロギル聖堂内に残る墓碑銘によると『クロアチア人の盾』と呼ばれ、シュビッチ家を代表する人物の一人である。
1420年、長く続くヴェネツィア共和国支配時代が始まった。1797年にヴェネツィアが崩壊すると、トロギルはハプスブルク帝国の一部となり、1918年まで支配された。ただし(ナポレオン戦争中の)1806年から1814年の間だけは、フランス軍に占領されていた。第一次世界大戦後、トロギルはクロアチアとともに、セルブ・クロアート・スロヴェーン国の一部となり、その後ユーゴスラビア王国の一部となった。第二次世界大戦中、トロギルはイタリアに占領され、1944年に解放された。その後ユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属し、1991年から独立したクロアチアの一部となった。
経済
観光業がトロギル周辺の経済において最も大きな要素を占めており、自治体予算の50%を支えている。ホテルと民宿は合わせて2万ベッド以上の収容力を持っている。周辺地域の人々は伝統的に漁業と農業に就くことが多い。
最大の産業は造船業である。20世紀初めに作られたトロギル造船所は、同時に55,000トンの船2隻を建造できる。1990年から2004年の間に、93隻の船がこの造船所で造られた。
交通
トロギルはスプリト空港から6キロ離れており、定期バスが空港と市の間を運航している。将来、スプリト郊外鉄道が空港とトロギルまで延長される予定である。
世界遺産基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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